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[ 志水一夫 ] [ パシフィック・ウエスタン大学と志水一夫 ] ウィキペディアでオカルト関係の記事をKadzuwo名で多数書いている。また英語版ウィキペディアでも南京大虐殺関連などを中心に投稿を行なっている。 ぞっき本のたぐいを参考文献にあげるのは百科辞典としていかがなものかと思いますので 外させていただきます。ご連絡まで。KIZU 07:24 2004年3月28日 (UTC) 「ぞっき本」の意味が解ってのお言葉ですか?あまりに失礼かつ不正確な言い方じゃないですか! あなたが削除された一方には友人が執筆しており、自分はそれには書いていませんが、 同じシリーズの常連執筆者でもあるんですがね。--Kadzuwo 12:54 2004年3月28日 (UTC) へえ。学術書でもないものを百科事典の参考文献にあげるのは、宣伝のためだったのですね。 KIZU 14:34 2004年3月28日 (UTC) 今回ご紹介のものには自分は書いていないと申し上げているのですが? それに百科事典で紹介するのには学術書よりは入門書の方がふさわしいのではないでしょうか 志水一夫のウィキペディアでの活動は上記のような「宣伝活動」等の不信を抱かれてもしかたのないものが少なからずある。例えば自分の主催するメールマガジンで 前野家文書というのは、昭和34年 (1959) の伊勢湾台風で壊れた東海地方の ある家の土蔵から発見されたという一連の文書で、その主要部分が『武功夜話』として 刊行されているものの、第三者による文書自体の鑑定が行なわれたことがなく、 多くの小説に影響を与えたり、NHKの大河ドラマのエピソードに用いられたりしてきたにもかかわらず、 内容的な問題から偽書の可能性が大きいとされている↓ものなんです。 としてその根拠に参照しているウィキペディアの武功夜話の項目はもともと志水一夫が書いたものである(ただし他の人間も加筆している)。 同様のことが杉原千畝の項のノートでも繰り返されている。 いずれにしろ疑問を持たれた方はこのノートのページをご覧いただくこともできるので、 取り敢えず当該箇所は元に戻しておきました。また、未亡人の著書は、上記の理由から、 やはり省いてあります m(_ _)m。Kadzuwo 13:44 2004年3月19日 (UTC) Kadzuwoさん、ノートで結論も出ないままに「ノートでの議論に基づいて」などと リバートするのは余りにも不誠実ではありませんか?Sampo 13:58 2004年3月19日 (UTC) 良くお読みください。自分は Modehaさんに書き改めていただくか元に戻すことをお願いしました。 それに対して書き改めることはできないとのお返事でしたので、 二者択一のもう一方を実行したのです。論理的ですよね? Kadzuwo 17:19 2004年3月19日 (UTC) 私は「根拠を提示」して頂きたいとは申しましたが、revertしていただきたいとは申し上げてはいません。 また、「書き改めるか元に戻す」ことのどちらにも同意いたしません。Modeha 17:25 2004年3月19日 (UTC) 自分の主張通り書き直すか自分が書いた内容に戻すかの二択を迫り、リバートを強行する行動は無茶苦茶である(最終的には両論が併記された形となった)。ちなみに彼自身がこの項目に追加している自分のメルマガへのリンクによれば そこでチョイと近所の図書館に行って調べてみたところ……、 たまたま手にした The Holocaust Oral History Project & The Unlikely Liberators Project 編『意外な解放者』*(情報センター出版局、1995) の、杉原問 題研究の第一人者と言われる篠輝久氏による解説の中に、次の一節を見つけることが できたのです。 という程度の知識らしい。ある事柄が記述されている書物が存在することとその事柄が事実であることが別であるのは、と学会の主要メンバーなら分かりそうなものなのだが…。志水一夫の場合、真偽に関わらず「こんな面白そうな説がある」と異説の発掘を楽しむ趣味を持っている。それば悪いことではないのだが、一度自分がその説をメルマガや雑誌に紹介すると、その後はその説の擁護に回ってしまう傾向が認められる。自分が発掘してきた説を擁護したいという感情は分からないでもないが、そういう人間には真偽不明の説の発掘を楽しむという高尚な趣味は無理なのではなかろうか。 その他の例
これらはいわばウィキペディアSPAMと呼ぶべき行為ではなかろうか。当事者や当事者に近い者が当該の項目の編集に携わったのでは客観性が低下する。常識的にはこのような『誤解』を受けないよう節度を持って行動するのが普通であろう。志水一夫の巧妙な所は1つ1つは「このぐらいなら目くじら立てることも…」というレベルに納めていること。しかし彼のやっていることは分かっている人には分かっているため、冒頭のような摩擦が起きている。 |